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航海日誌

「貫くものを」

2024/11/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

表題の「貫くものを」とは、なにかを始めてから終わるまで、やり遂げることをいう。まもなく104歳になる私の生涯に、そういうものがあるとするなら「独立自尊」であろう。自分の人生は自分でつくっていくという心構えであり、これまでの語録に片鱗を述べている。今回のテーマ「貫くものを」は、一人息子へのメッセージとして記したい。

先日君から、「7月で70歳になった」と知らされた。「おめでとう、誕生祝をしなければならないなぁ」と話した。祝いの品を物色したが、どうもこれといったものが思いつかない。今回の「貫くものを」というテーマを見て、立派に成長した君に贈りたい言葉を綴ってみようと、今これを書いている。

一人息子の君には、幼い時から私の後継者として特別な思いを持って見守ってきた。そうはいうものの、君が香川大学附属小学校に入ったのを知ったのは入学後だいぶん後だった。その頃、私は零細な企業(我が社の前身)を建ち上げたばかりで、仕事以外は頭に入らず、一途に突き進んでいた。

君が小学校を終える頃、地元の屋島中学の校長が来訪され、君の転入を強く希望された。もし実現すれば、全校生とその家族の強大な刺激になるという。気迫がこもる校長の熱意に、私は心を動かされた。もっとのびのびとした環境で勉学させたいと君を転校させた。その後、校長と会うたびに貴重な教えを得た。学校教育ではできない躾という全人教育は、家庭教育によってのみ可能だという。

その訳は、子は親の背を見て育つということから、家庭こそが躾の道場であるという。同時にそれは、背を見せる父親の私にとって、修養の道場になることを示唆した。かつて海軍で学んだリーダーシップの根源が、率先垂範、指揮官先頭であるのを思い出した。

転入を機会に、君に一つだけ注文した。「好きな学科の数学は、同学年中一番になれ」と。学年の終わりに見た成績は、数学の1位はもちろん、他の学科も全て良くなっていた。私の重点主義がよかったのだろう。中学を終える頃、高松商業高校の教頭から、「大学受験専攻科をつくっていて、他校の大学入学率に劣らぬ実績を必ず示す」と、溢れる熱意を込めて披瀝された。当時の校長が高潔な人格者であることも併せて、高商校入学へと導かれた。

三年後、大学受験を前にして、担任の教諭から「合格は間違いないと思うが、万が一ということがある。私大も受けておいてはどうか」と勧められたがどうすべきだろうか、と相談された。私は即座に、「もし不合格で浪人することになっても、その苦しみは君の一生のプラス体験になる。浪人を恐れるな、一橋大学一本で行け」と答えた。私の重点主義が功を奏したのだろうか、浪人せずに済んだ。

君が大学在学中、記憶に残ることが二つある。一つは、ニュージーランドを自転車旅行したいので費用を頼むという。私はその素晴らしいプランに進んで応じた。見事、自転車で異国一周の一人旅をやり切った。「かわいい子には旅させよ」を実現できて嬉しかった。もう一つは就職の問題があった。商社に行きたいが、どこが良いかを問うてきた。私は「我が社と関係ない所なら、好む所へ行け」と答えた。

しばらくして、君が希望した商社「丸紅」の人事部長から突然電話があった。「息子さんが入社希望しているが、どういうおつもりですか」という。私は「何の意図も持ってない、同時入社の社員同様、厳しく鍛えてくれ」とのみ頼んでおいた。

入社後、最初の1~2年は海外支店での見習い勤務がある。希望を申し出よといわれたが、どの国がいいかという。もし私なら、大国を避け、発展中の開発途上国を選ぶだろうとだけ答えておいた。後で聞くと、皆が嫌っている、アフリカのナイジェリアに決まったという。赴任後、君が劣悪な環境に耐えられるだろうか気になっていた。私も戦時中、赤道直下の居住条件が似たラバウル基地で過ごした経験が、戦後の生き甲斐になっている。君にも同じ道を歩まれんことを願った。

その後、たまたま商用で欧州へ出張した途次、ロンドンからの直行便で、久しぶりに君と首都ラゴスで会えた。メインストリートを歩く人が皆裸足なのを見て、君が劣悪な環境に住むのを知ったが、元気な顔を見て安堵した。この環境に耐えた経験は、君の一生にプラスの効果をもたらすだろうと確信した。みんな笑うだろうが、近くにいると気付かないであろう親子の愛が、いかに大きくて深く、言葉にならないものかを改めて感じた。

このような経験を通して、君は何事も自分の判断・責任のもとに実践する独立自尊の精神を学び、成長してくれた。私の夢であった、製品の65%を輸出する世界的企業に仕立て上げた功績は見事である。我が子を褒めそやすのは面映ゆいが、胸を張って自慢できる息子だ。私が104年間貫いた独立自尊を引き継ぎ、これからも君の人生を豊かに歩んでくれることを切に願っている。

また、君も70歳になって今は後進の指導に力を入れていることと思う。世界にそして未来に通じる後進を育ててもらいたいものである。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2024年9月)より』

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