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Vol.267 「倦まず、弛まず」

2024/07/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

表題の「倦まず、弛まず」というのは、何を意味しているのだろうか。それは一意専心・不撓不屈の精神のことを指しており、平たく言えば、「努めて止まない根性を持て」ということではないか。

ところが、根性といわれても「自分は意志が強い」という人より、「なんて意志が弱いのだろう」と思い込んでいる人の方が多いようである。昔から三日坊主という言葉があるように、私たちは何か良い習慣を身につけたい、悪い習慣を断ちたいと固い決心をしても、いつの間にか尻すぼみになっていることがほとんどである。

それを何とかしようと自分に鞭打つのだが、結果は元の木阿弥になっている。なぜかといえば、肉体を鍛えると同じように、弱い意志力を鍛えられると思うところに大きな錯誤がある。意志は形があるわけではないから、鍛えることはもともとできない相談である。

問題は、強い意志が自分のどこから出ているのかに関係しているように思う。つまり、出る所如何が「三日坊主」になるか、「やり抜く」かの分かれ道となり、それを「意志が強い、弱い」と言っているだけである。その出場所は二つあって、「心」から出る意思は弱く、「魂」から出る意志は強いと言える。どうしてそれほど違うのか。

心というものは生れたときには無かった。2・3歳頃に言葉を覚え、その言葉と出来事を組み合わせることを通して考えるようになり、認識・思考・判断・識別・価値観等の働きを持つ理性を作り上げた。その理性が私たちの心の大部分を占めている。

従って、心は言葉の持つ「合理的にしか考えられない」という欠点があることを否めない。つまり、言葉に表せない事柄については盲目同然なのである。人間にとって大事なこと(愛・信頼・生き甲斐・勇気・責任)は、言葉ではなく「感じる」ことによってのみ作り上げるからだ。しかし、その不完全な心に従っていれば、普通の社会生活は営めるが、自我(エゴ)に振り回され、コロコロ変わるのであてにできない。

心は、理性に基づいた、善いことを「しなければならない」、悪いことを「してはならない」、という他律的な道徳を求められる。ゆえに常時自制を伴う一方、魂の働きは「善いことをしたいからする」「悪いことをしたくないからしない」という、自律的「倫理」を追求しており、その生き方には哲学がある。

心は自分を利することが念頭にあるため、恋はできるが、愛する、信じることができない。命を捨てても悔いぬ魂の真剣さのみが、愛や信頼の奇跡を生み出す。人間にとって大事な勇気・責任・生き甲斐などは感じることであって、言葉で表すことができない。

心は常に自我(エゴ)が付きまとっているので、「自我を捨てよ」とよく言われる。しかしながら、人間の成長発展には必要なものである。もし自我をなくしてしまったなら、この世は仏様ばかりになってしまう。「私は自我心(エゴ)を持っているのだ」という自覚さえあれば、自我はいつの間にかその人の人間らしさに消えている。これら魂と心の違いを分かり易くするため、以下のように比較してみた。

                       
宇宙の意志を帯びた命とともに賜る        生まれてから自分がつくった
永遠に生きる                  肉体の死とともに消滅
宇宙の生成発展の意志に従い、倫理を追求     理性・常識で考え、道徳に従う
善いことをしたいからする(自律的)       善いことをせねばならぬ(他律的)
強い意志をつくり、やり通す           意志が弱く、続かない
直観が鋭く、決断が速い             分別に拘り、決断を渋る
愛・信頼を暗黙裡に感知し得る          愛・信頼を言葉では感知できない
ゆとりがユーモアを生む             すべてを合理的に考え、頭が固い
肉体に宿り、心と身体を統御する主人       魂の具現化に必要な召使・従者
良心・自然治癒力が心身を養う          自我が魂の働きを妨げる
克己を最高の快楽                動物的五官の快楽優先
孤独を好み寡黙、和して同ぜず          自己顕示欲が強く、群れたがる
細事に煩わされず、拠点をつかむ         周りを気にして、自分を見失う

自らの魂の声を聴き、生かされた命を倦まず、弛まず歩んでいきたいものである。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘元顧問談(2024年5月)より』

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